【雑談】貰っても迷惑だったモノは、○○! 被災者に聞いた、実は貰っても迷惑だったものについてのお話。
どうも。
大学生活で、50以上のボランティアをしてきたぽぽなりです。
本日は私が大学2年次に、東日本大震災の被災者に聞いた、
「実は被災者が貰っても、迷惑だと感じていたモノ」
についてお話したいと思います。
なおこの話は全ての人に当てはまるわけではありません。
あくまでも一例として楽しんでいただけると幸いです。
それでは、Let's be happy !
結論から言います。
被災者が貰って最もいらないと感じているモノ。
それは、「千羽鶴」です。
「えぇ、貰うと嬉しいじゃん」「私たちの思いがこもっているのに」
と思われる方ががいるかもしれません。
私もこの話をしてくださった方も、千羽鶴を送ってくださった方々を、
卑下したいわけではありません。
何もしてくれない人がいる中、そうして想いを馳せてくれるだけでもありがたいと、
被災された方は話していました。
それでは、なぜ、なにが迷惑なのか。
詳しく話していきます。
大きく理由は2つ。
- スペースを取られてしまう
- 撤去費用が掛かってしまう
この2つが、迷惑と思ってしまう理由のようです。
1.スペースを取られてしまう。について。
今でも仮設住宅等に住み、広い家に住めていない方はいます。
そういった方々からすると、千羽鶴はスペースを埋めてしまう一要素になってしまうそうです。
1つや2つならいいものの、全国から送られてくるとすると、その数は多い時には30にもわたったそうです。
皆さんの家に、30の千羽鶴があったらどうですか。
流石に鬱陶しく感じてしまうと思います。
そこで、泣く泣く千羽鶴を捨てる人が震災時に激増したそうです。
では次に、その捨てた千羽鶴のお話です。
2.撤去費用がかかってしまう。について。
さて、そうした千羽鶴はどうなるでしょう。
当然撤去されることになります。
では撤去は無料でしょうか。
いいえ、撤去にはお金がかかります。
ではそのお金はどこからだされるのでしょうか。
被災地・被災者からです。
撤去費用には多くのお金がかかります。
このお金があれば、毛布や食品を買う事ができたと話されていました。
ただでさえ、お金がない状況で、撤去費用といった本来かからないで済んだお金をだすのは、嘸かしつらかったと思います。
こうした、
スペースや撤去費用といったことから、
一番いらないモノは、「千羽鶴」だったそうです。
「お前の為に作ったんだー!」「ありがたく思え!」
こういった人がたまにいます。
そうした人は、人助け風のことをしている迷惑人です。
もしくは綺麗ごとしか言えないお花畑脳の人です。
シンプルに考えてください。
自分が被災して、皆さんは何を求めますか?
情けですか?優しい言葉ですか?千羽鶴ですか?
いいえ、違います。
お金や食料、家や服といった、
生きるために必要なものです。
日本人は変に善人ぶるので、前者を大切にしようとします。
勿論その心は大切です。
その心が皆にあるから、日本は安全な国なんです。
ですが、順番が違います。
生きることに対しての不安が無くなってから、その心が必要です。
これは私だけの意見ではありません。
お話を伺った方々、皆さんの総意です。
あなたは相手のことを考えず、なんとなくで人に優しくしていませんか。
それは本当の意味での優しさではありません。
残念ながらそれは、「自己満足」と呼びます。
「こうしたら喜ぶはずだ」という自己完結や断言ではなく、
「どうしたら喜んでくれるだろう」という推測をし続ける事。
これが真に人を救う際に必要な思考です。
ちなみになのですが、ここまでの話を聞いて、
「じゃあ受け入れ拒否すればいいじゃないか」
と考えた方もいると思います。
実はお話を聞いた方々の中に、千羽鶴の受け入れを拒否していた方がいました。
しかしそうした方々は、送り主から辛辣な言葉を掛けられたそうです。
「なんで受け取らないんだ!」「俺らの想いを考えろ!」
不思議なものですね。
日本は見えない気持ち悪い「当たり前」というモノに囚われています。
撤去費用が掛かるけど、想いのこもった実用性の無いモノを受け取らないといけない。
想いより、お金やモノを多く欲してはいけない。
それは本当に、人を助けたいという思いから来たものですか?
千羽鶴が、物理的に人の命を救えると思いますか?
お金、食べ物等が満たされてから渡すのでは、遅いですか?
私はそう問いたいです。
さて、本日は被災者が一番いらないモノは、千羽鶴というお話でした。
誤解してほしくないのは、その心は素晴らしいという事です。
何もしない人が大勢いますからね。行動しただけでよっぽどいいと思います。
ただ、その行動に真に思いやる気持ちがあったのか、
ということを我々は言いたかったんだと思います。
自己満足の贈り物は、時に相手を傷つける。
私はこのお話を聞いて、そう考えるようになりました。