ぽぽなり

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【梛文】#4 いじめ(かわりはじめ)

「ふつう」を手に入れるために

いじめられているという、異常から抜け出す必要があった。

 

そのためにまず、

いじめられている事実を認めた。

 

私の立ち位置を認めたうえで、

何が必要なのか、考えた。

 

なぜ、私は普通の状況ではないのか、考えた。

 

私には、答えが分からなかった。

 

第一の推測として、私には、

「普通の人とは違う何かがある。またはないのではないか。」と考えた。

 

人は、普通とは違うものを、嫌う傾向にあるということを、

何かで読んだことを思い出した。

 

そこで私は、私の中の普通ではない何かが、

いじめている彼らに恐怖心のようなものを、意図せず与えており、

嫌悪され、いじめられているのではないか。そう考えるようにした。

 

しかし当時の私は小学生。

その「なにか」が分からずじまいだった。

 

 

思考のベクトルを変えた。

「ふつう」に生きている人にあるものを真似すれば、

私もふつうに近づけると考えた。

 

まずは、ふつうに楽しく生きている人を、

教室の端でひっそりと観察していた。

 

幾日か経過し、とある共通点に気づいた。

皆には、「個性」があった。

 

サッカーがうまい、勉強ができる、モノマネがうまい、容姿端麗。

なんでもいい。だが、たしかにその人ならではの個性を持っていた。

 

私自身考えた。

私の個性は何だろうと。

 

 

何もないことに気づいた。

 

何もない人間に、他人は興味を抱かない。

 

何もない人間には、面白みを感じない。

 

面白みのない人間は、一緒にいて楽しくない。

 

楽しくない人間には、嫌気がさす。

そこから、私はいじめられているのかもしれないと、

確信とはいかずとも、いじめの真意には気づけた。

 

 

私は、個性を身に付けようと思った。

 

見た目はすぐには変わらない。

お笑いのセンスもないように思えた。

 

色々考え、勉強とスポーツの2択に絞った。

 

結果、スポーツを選択した。

目に見えて、凄さが分かると感じたから。

 

 

当時私は、サッカークラブに所属していた。

私は補欠だった。

 

まず試合に出られるように、今のチームに何が不足しているか考え、

不足を補えるプレイヤーになろうと考えた。

 

探そうと思えば、不足など無数に見つかった。

 

その中から、私がやりたいもの、できそうなものを選択し、

ただひたすらに練習した。

 

何日も、練習した。

 

何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。何日も。

 

練習した。

 

 

気づいたら1年たっていた。

 

気づいたらレギュラーになり、エースになっていた。

 

気づいたら、キャプテンにもなっていた。

 

 

このころになり、ふと周囲を見ていると、

私のおかれている環境は、変わり始めていた。

 

仲の良いといえる、先輩・同期・後輩ができていた。

 

親御さんや監督から、信頼していると言われるようになっていた。

 

他の学校から、あいつはすごいと言われるようになっていた。

 

いじめてきたやつらは、いつの間にかいなくなっていた。

 

友達と言えるかは分からないが、ふつうに、話せる人がたくさんいた。

 

私という1人の人間に、自信を持てるようになった。

 

 

あきらかに、周囲が変わり始めていた。

私の変化と比例して、周囲も変化した。

 

気づいたら、ふつうの生活を、手に入れることができていた。

 

気づいたら、ふつうという幸せを、手に入れることができていた。

 

 

私は、私というただ1人の、「個性ある凡人」になることができた。

 

 

自分の世界を変えるには、自分が変わるしかないことを学んだ。

所詮人は他人。コントロールなんてできない。

だが、自分が変われば、相手も変わる可能性が大いにある。

 

 

いじめられていても、諦めず、試行錯誤をし続けてよかった。

私に無いものに気づけたから。

 

何日も、努力してよかった。

ふつうという幸せを手に入れることができたから。

 

死なないでよかった。

幸せをかみしめることができているから。

 

 

現状を変えるという意思と勇気。そして行動力。

これがあれば、自分の世界ぐらい、簡単に変えられる。

 

人の助けを待つより、自分で自分を助ける方が、

この世の中では、はるかに有能だと思う。

 

私はこれからも、考え、行動し、世界を変えていきたいと思う。

 

その力が私にはあると、小学生ながらに、気づくことができた、

私は、幸せ者かもしれない。

 

 

いじめのような嫌な話が、いつかは笑い話になるぐらい、強く、生きよう。