【雑談】私は「身体障害者」を嫌がる人を可哀そうだなーと憐れんでいるっていう話。
どうも。
ボランティアで多くの身体障害者と出会ってきたぽぽなりです。
今日は特に書きたいことないなーっていう日なのですが、
そういえばこの話を友人や先輩にしたら謎に感動されたので、
本日は、
【私は「身体障害者」を嫌う人を可哀そうだなーと憐れんでいる】
という話を、だらだら話していきます。
雑談ちっくに書いていくので、だんだん内容からそれたりするかもしれませんが、ご勘弁を。
それでは、Let's be happy !
- 1.そもそもその呼び方が嫌いっていう話。
- 2.その理論で言うと、私だって障害持ちっていう話。
- 3.彼女ら彼らは私なんかよりよっぽど素敵な人たちっていう話。
- 4.普通以外を受け入れない愚か者どもっていう話。
- 5.こんな考え方したら、彼らはもっとかっこよく見える
1.そもそもその呼び方が嫌いっていう話。
健常者ベースで物事を考え、そこから外れた存在は障害者。
不思議なものですね。
両者の違いを考えると、
「やりたいことをきちんとできる体=健常者」
「やりたいことをきちんとできない体=障害者」
とされていることが多いみたいです。
大体こういうこと言っている人ほど、彼らと話したことがない阿呆者だと勝手に思っています。
彼らは私たちが想像している以上に普通に生活しています。
とある盲目の方に、遠慮せずに聞いてくれと言われたので、
「見えないって不便ではないのか」と聞いてみたことがあります。
彼は、こう答えました。
「君たちは、頭の後ろで起こっていることを把握しないと不便なのか」と。
なるほどと思いました。
私には目が前にしかついていないので、前しか見えません。
後ろなんか見えなくても不便だなんて考えたこともありませんでした。
つまり見えなくても案外どうとでもなるとのことでした。
結局、健常者と障害者の違いって何なんですかね。
別に彼らは普通に暮らしています。
私達が勝手に怖がっているだけです。
やりたいことができれば、それはもう健常と言えるのかもしれませんね。
2.その理論で言うと、私だって障害持ちっていう話。
私は子供のころ、空を飛びたいという夢がありました。
急になんだと思った方もいるかもしれません。
そして大半の方がこうも思ったと思います。
人間なんだから飛べないだろうと。
最もです。私も今の人間は飛べないと思います。
翼もエンジンも付いてないですから、当然です。
結局何が言いたかったのか。
私もやりたいことをかなえられないという面では、障害者ということです。
飛びたいというやりたいことがあるけど、翼がないからできない。
つまり理想と現実の乖離がある。
先ほど私の言った障害者と同じですね。
もしかしたら、健常者なんてこの世にはいないのかもしれません。
私は私を健常者とは思っていません。
3.彼女ら彼らは私なんかよりよっぽど素敵な人たちっていう話。
ボランティアにハマっていた時期に、多くの方とお会いしました。
赤子から90代後半のおじいちゃんおばあちゃん。消防士やお笑い芸人。精神不安定者や四肢が動かない方ともお話したことがあります。
感じた事は、皆個性があり、皆尊敬すべき点、改善すべき点があるという事です。
そしてこれは、どんな凄い人でも大したことないと言われてしまっている人でも、同じです。
だから人は面白く、煙たがられ、好かれるのだなーと。
目が見えなくたって彼ら彼女らにしかない世界や考え方があって、私なんかよりよっぽど素晴らしい思考の持ち主たちでした。
音が聞こえなくたって、身なりを整えて、モデルを目指している人もいて、夢を持ち行動している姿はとてもかっこよかったです。
やはり、違いなんてないのかもしれません。
4.普通以外を受け入れない愚か者どもっていう話。
かなり前ですが、電車で目の見えない方の前に缶を置き、転ばせたというニュースを見たことがあります。
なんか嫌だったからやったという供述だったらしいです。
被害者も勿論ですが、それ以上に加害者が可哀そうだなーという感想でした。
自分たちと違う存在を受け入れらず、恐れ、結果排除しようとしたのだと思います。
だから、なんか嫌だったという思考に陥ったのだと思います。
たしかに自分と似ている人と一緒にいるのは心地がいいです。
でもそれだと、自分の世界は広がらず、つまらない人間にしかなりません。
私は何をするにも、まず相手がどのような考えをしているのかに興味を抱きます。
経験や他人は、自信を成長させる大切なものだからです。
話がそれましたが、普通や居心地の良さだけで環境や人を選ぶと、人生つまらないです。せっかく生きているなら、多様性を受け入れ、学び、活かした方がよっぽど面白いです。
普通以外を受け入れない人は、愚か者。
私の教訓です。
5.こんな考え方したら、彼らはもっとかっこよく見える
足が無い方に出会ったことがあります。
その方は昔それを理由に、いじめられてきたそうです。
私もいじめにあったことがあったので、非常に悲しい気持ちになりました。
そんな中、彼女は私にこう言いました。
「私の足を見てどう思うか」と。
醜いでも、可愛そうでもなんでもいい。せっかくならコメントしてほしいと言われました。
私は遠慮なく思ったことを言いました。
「足を改造して、アイアンマンみたいになったら自慢できますね」と。
彼女はきょとんとした後、沢山笑いました。
涙を流して、腹を抱えて笑いました。
彼女は言いました。
「そんな考え方したことなかった!なんか勇気付けられた!」と。
コメント前の空気とは打って変わって、楽し気な雰囲気でお別れしました。
どうやらこの考え方は、誰かに勇気を与える考え方のようです。
我ながら、悪くない考え方だと勝手に思っています。
足がないことを人は-と捉えすぎです。
確かに不便です。あるに越したことはありません。
しかし無いのであれば、つければいい。その技術がこの世界にはあります。
しかもただ付けるのではなく、我々がうらやむ機能をつけてしまえば、
我々の足の評価を±0とするならば、間違いなく+1以上でしょう。
そんな世界になったら、楽しそうですね。
障害者、不足者ではなく、進化する可能性がある者。
そんな考え方になったら素敵ですね。
さて、性懲りもなく長々と書いてしまいました。
こんな考え方の人がいたら是非仲良くなりたいです。
コメント等よろしくお願いいたします。
それではまた明日のブログでお会いしましょう!